2011年 10月 09日
想い出チリビーンズ



c0154732_23354517.jpg


D7000+Nikkor35mm



マンハッタンで絵に描いたような貧乏学生だった頃のルームメイトと久々に逢った

95¢のコーラも3日に一度しか飲めなかった馬鹿みたいにお金が無かった私達は
当時2ベッドの小さなアパートメントで4人で生活をしていた

私のアルバイト代は全て授業や画材道具に消え、水道水と閉店間近の安価のパンを買い、
マクドナルドで拝借してきたケチャップを付けて食べていた頃を笑いながら話ていたら
K君は「チリビーンズ食べたいな」と唐突に言った

彼はダンサーを目指して広島から渡米していた一人だった

私達は他のルームメイト達とどうしたらいかに安くお腹一杯になるかを論じて答えが無いまま日々を貪っていたけれど、彼は栄養面の心配を常にしていた気がする

99セントショップでビーンズの缶詰を大量に買って来ては田舎のダイナーの真似をして
あれやこれやと調理してみては失敗していた理由は明らかに調味料が足りなかったのだが、私達はそれぞれの目的のために「ここにいるのだ」という夢心地な若さで決して美味しくない豆料理を胃に流しこんでいた


それも我慢の限界が来た頃、美人の友人がピザ屋の店員と仲良くなってチーズや野菜の残りやタバスコを貰ってきたり、マクドナルドでナンパをされる振りをしてハンバーガーを袋いっぱいにして逃亡して帰ってくると、「このお肉入れようよ」と脂ぎったフライドポテトとぺしゃんこなバンズを別け、中身の薄いハンバーグを取り出したりして私達はどういう訳か豆料理を完成させる事を遊びながら続けていた

私は(何故かその部屋で調理役だった)その頃のマンハッタンで絶対にしてはいけない危険を冒してまで二十歳そこそこの女の子がかき集めてくれた材料でチリビーンズを作った
美味しくて涙が出たのは自分たちの見えない将来と人種差別と治安の悪さと貧乏さが全て混ざりあった屈辱感を連想したからだと思う

彼女もダンサーでK君と毎日レッスンを終えてからクラブで踊る
体力も栄養も意思の固さと同じくらい大切なものだと知っていた

K君はその後ショービジネスの世界に入り日本人ダンサーとして今でもN.Yで活躍している
レイプ覚悟で毎日何処からか謎の仕入れをしてきてた彼女は裕福な家庭を築きアッパーイーストに3つビルを持っている
もう一人は未だに売れない映画監督を続けているらしいと聞いた


K君の為に私は昔と変わらない作り方でチリビーンズを煮てコーラで乾杯した

あのレキシントン街の薄暗い部屋で4人で食べた味の方がずっと美味しく感じたのは私だけだったろうかとK君には訊けなかったけれど
[PR]

by un-chat | 2011-10-09 00:53 | snapshot


<< G*      赤とんぼとトレンチコート >>