異国の友人とSkypeで話していると彼女が言う。
ー 最近、花の写真ないのね。
なにかあった?
なにもないのだけれど、
なにかあったように答えた方がよい気がして
マクロを撮っているときの姿勢が難しいのだと
半分本当のことを話していた。
ー それでも撮ってみたら?
違うモノが見えるかも知れないじゃない。
ほら見て。
嬉しそうな声で一輪の花の写真を送ってくれた。
雪の日に真っ白に降り積もった庭で撮ったものだった。
最初からわたしに送ろうとしていたのだろうか。
名を知らぬ遠い北の国の小さな花。
白さのなかで色あせた花弁が透けて眩しかった。
きれいね、と答えると、
じゃあ、また撮ってね、と言われてしまった。
ー ああ、ごめんね、まだ肩痛い?
うん、少しね。
綺麗なものを綺麗ねと言えるなら大丈夫だと
雪の日の花は言うだろうか。
骨折した肩がまだ時折痛むことを
彼女にはお見通しだったのか。
わたしのために雪の日に花を撮って見せてくれたのだろうか。
バレリーナに似たラナンキュラスがテーブルで踊っている。
透過したチュチュを纏った少女のように美しかった。
レンズ越しに見える世界に浸っていたい衝動に突き動かされ
時間を忘れて草花を愛でる。
そんな数分を幾つももっていた頃を想い起こした。
懐かしいときが流れたのは
わたしが自分のなかに仕舞い込んで
忘れてきてしまったからだ。
冬の朝に躍る花びらまでも置いてきてしまったのなら
急いで取り戻さなければ。
4月に帰って来る彼女と
桜の樹の下で
すみれの花を探そうか。